こんにちは、雪猫です(๑❛ᴗ❛๑)
今日は原爆の日ですね。
私は広島で生まれ、広島で育ちました。
広島の子は、幼い頃から学校などで色んな知識を得ています。
今は分かりませんが、私が子供の頃は、図書室には色んな原爆の本や漫画が置いてありました。
平和公園にも遠足で行っていました。
今は撤去されたけど、指の皮膚が剥がれて垂れ下がっている像が、子供には強烈すぎて今でも脳裏に焼きついています。
大人になって県外の人と話すようになると、原爆の歌(原爆を許すまじ)が歌詞を見ずに歌えることに驚かれました。
県外の学校では、私達が普通に習っていた歌や内容は、それほど教えられてはいないんだなと感じました。
74年前のあの日、亡くなった祖母はこの山の向こうに、きのこ雲を見たそうです。
うちの実家は原爆が投下された市内からは、車で1時間の場所にあります。
こんなに遠く離れた場所からでも見えた、きのこ雲。
原爆がいかに激しかったのかが分かりますね。
祖母は前日の8月5日まで里帰りをしていました。
自宅から市内の中心地を通過しての里帰りです。
8月6日の午前8時15分。
広島に原子爆弾が投下された、まさにその時間、爆心地を通過して自宅へ戻る予定でした。
ですが、急遽8月5日に自宅へ戻らなくてはならなくなり、助かったのです。
そして、自宅からこの山の向こうにきのこ雲を見たそうです。
父はまだ生まれていなかったので、この時偶然に祖母が1日早く自宅へ戻っていなかったら、私はこの世にはいなかったでしょう。
祖父は大工をしていました。
原爆が落ちたその時は、広島駅で仕事をしていたそうです。
爆心地からは、そんなには離れていない場所です。
被爆はしましたが、丁度建物の影になり助かったそうです。
なかなか自宅に戻らない祖父を、祖母は心配して探しに出たそうです。
そこで祖母も被爆しました。
祖父母とも日本人の平均寿命までは届かずに天国へ旅立ったので、もしかしたら影響はあったかもしれません。分かりません。
焼野原だったなんて、今の広島の景色からは想像もつきません。
祖母が生きていた時代なので、そんなに遠くはない過去です。
何かのきっかけで・・・なんて考えると怖い。
同じ過ちを繰り返さないようにしないといけませんね。
日本と世界が平和でありますように。
合掌。
あ、なんか昨日までベーコン戦争とか書いててちょっと不謹慎だ(゚ω゚)
あれは、私の脳内なので💦